雪が少ない冬に木の気持ちを考えてみた。

草助ブログ

僕が住む岩手県は、今年は雪が非常に少なく、最近になって雪が降ったりしましたが、それも徐々に溶けて、また雪のない冬になりました。

こういった年は珍しく、いつもは除雪のために早起きして、トラクターを動かしては雪があたって赤くなるほど頬が冷えて、それでも必死こいてトラクターを動かして除雪をしています。

ここ数年は我慢大会のような冬でしたので、うれしくもありちょっぴり寂しいような感じがします。

数年前はビニールハウスが潰れるくらいの大雪が突然降ったこともあったので、まだまだ油断はできません。

まだ来週もあたたかそうなので天気予報を見るたびにほっとしております。

さて、そんな雪が少ない冬ですが、それでもやはり冬は寒く、薪ストーブの火は心も体も暖めてくれます。

冬の始まりには沢山あったはずの薪はどんどんと無くなって、残りわずかです。

節約して使っていればよかったのですが、家にいる機会も多く、そして薪ストーブはやはり楽しい。

昨年から本格的な鋳物の薪ストーブに変えてからは趣味の時間でしかないくらい、薪ストーブに依存しています。

この前、親戚が家を整理するという事だったので古い木でできた家具など、使えるものはそのまま使い、そうでない物は薪用にもらってきました。

少しずつ切って使うつもりでしたが、結構薪の残量がランプが点灯するくらい少なくなってきたので、急遽、妻とノコギリでギコギコやって薪を作りました。

我が家は今の所、薪用の木を切るのにチェンソーも丸鋸も使いません。

電気やガソリンを使っては何だか無駄な気がして。

なので自力でギコギコやっている訳ですが、そんなことをしていると、体がポカポカとしてくるものです。

これはある意味副産物のような物で、温かくなるし、やった気がするし、頑張って切った木でみんながあったまると嬉しいし、いう事なしです。

本来なら捨ててしまうような木材でもこういったエコな活用をすると木も成仏できるのだと思います。

木なら、きっと最後は灰になるまで燃えてみたいだろうと木の気持ちを想像して薪ストーブの中で燃える木をニヤニヤと見ている僕はどうなんでしょうか。

木や火は暖かい目で見てくれていた気がします。多分。

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