禊をはじめてからもう17日にもなった。
初めて禊をした頃に比べると、もうすっかり慣れて、色々と進化してきている。
やり方にしろ、考え方にしろ色々と試行錯誤をしているから進化してきたのだろう。
以前、禊は「案ずるよりも産むが易し」ではなく「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だ。という内容の記事を書いたが、最近では「案ずるよりも産むが易し」になれてきている。
というのも、じっくりと時間をかけて手足顔胸に水をピシャピシャして意を決して頭や背中など全体に水をかけるのですが、最近では軽く手足顔胸にかけてからすぐに頭、そのまま首、背中とスムーズに水をかけられるようになりました。
案じていたよりもというより案ずる事をやめたような感じです。
案ずる事よりもやって見るとできたりする。その事が少しずつ体得する事ができました。
女の人は出産という方法で、学べる機会がありますが、男の人は科学的にはもちろん、精神的にも出産の苦しみ痛みを我慢できないと言われています。
辛さの大小はありますが、毎日の禊によってその辛さを少しずつでも経験値とし、この言葉を本当の意味で理解していきたいと思います。
本来であれば僕は女性に産まれたかったと思っています。
女性は辛い事もありますが、男性には男性の苦労もあります。
どちらも同じ苦労なら、できる事が1つ多い女性に産まれて、出産を経験したかった。
そう思う僕は変でしょうか?
妻は出産を3回経験しています。
という事は案ずるよりも産むが易しを300%も体得しており、僕は到底及びません。
未熟な所も多々ありますが、そういう部分では間違いなく尊敬しています。
そのぐらいの経験値を稼げるというとなんだか変ですが、それほど素晴らしい経験ができる女性は素晴らしいと僕は思います。
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